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七本鎗のこと

【冨田酒造について】

清酒「七本鎗」を醸す冨田酒造は、琵琶湖の最北端、賤ヶ岳の近く、旧北国街道沿いの宿場町「木之本宿」にあり、創業は今から470年以上遡る天文3年(西暦1534年)頃のことです。

木之本宿は牛馬市がたったほど宿場町としては大きく、参勤交代を始め多くの人々が行き交い七本鎗を飲んだ事と思われます。

今では旅人こそ減ったものの、その地に根付いた地酒「七本鎗」は雪深い湖北の地で昔ながらの厳寒仕込みに徹し歴史を刻んでいます。

木之本宿

【七本鎗の由来】

銘柄「七本鎗」は、「賤ヶ岳の七本槍」に由来しています。


賤ヶ岳の七本槍とは「本能寺の変」の翌年天正11(1583)年、信長の跡目をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が戦った「賤ケ岳の戦い」で勇猛果敢な働きによって秀吉を勝利へと導いた七人の若武者、加藤清正・福島正則・片桐且元・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則を指し、後世に讃えています。

この賤ケ岳の戦いを機に秀吉は一気に天下人への道を突き進むのです。

賤ヶ岳の七本槍

七本鎗は「勝利の酒」「縁起の良い酒」として喜ばれています。

【魯山人も愛した七本鎗】

十二代 冨田八郎忠明は、政治家としての活動と同時に書画を嗜み広く文化人との交流がありました。

大正初期に長浜を訪れていた北大路魯山人(当時 福田大観)が逗留し、篆刻を残しています。

魯山人による扁額「七本鎗」

▲ 上の写真は美食家であり芸術家、魯山人が自ら彫った扁額「七本鎗」。

篆書に親しんだ魯山人が彫ったのは、木偏の「槍」ではなく、金偏の「鎗」であった。

以来、一部のラベルに魯山人の手による「七本鎗」の文字を用いている。

魯山人による扁額「酒猶兵 兵不可而不備」

▲ 魯山人が八郎へあてて書いた扁額「酒猶兵 兵不可而不備」=酒はなお兵の如し。兵は一日たりとも備えざるべからず。

「酒はあたかも兵と同じである。一日として手元に備えておかないわけにはいかない」の意。

【小規模体制で伝統を守る】

七本鎗はとても小さな酒蔵ですが、だからこそ細部に目をくばり、徹底した品質管理を実現できています。

少量を吟味して醸す、昔ながらの手造りを守り続ける理由のひとつがここにあります。

小規模体制で伝統を守る

【日本酒の心を伝えたくて】

現蔵元、十五代冨田泰伸は酒造りの修行に入る前、アメリカ、ヨーロッパ各地のワイナリーや蒸留所を巡りました。

この時、地酒であることの意味、地元へのこだわりについて真の価値を認識することになります。

地元篤農家とのタッグ、モノ作りのネットワークを益々強力にしていきます。

そして、その良さを広く伝えていくこと、喜びをわかちあっていくこと、そこに真の価値があることを知るに至りました。

グッズ達はそういう経緯と想いから生まれていきました。

日本酒を造り続けている者として、日本酒の本当の楽しみ方、本当の良さ、本当の美味しさを追求し続けたい。

そして「日本酒文化の伝統」を守り伝えてきた者として、次世代へ繋ぎ伝えるために、新しい切り口で革新を続けていきたい。

日本酒の心を伝えたくて

そのために、「日本酒」を通じて触れる世界や人との関係性を宝に、日本酒の心を伝えていくこと。

造り続ける者として、
守り伝えてきた者として、
革新していく使命があります。

日本酒の心を伝えたくて
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